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第3号
『人はいかに癒されるか』

(風雲舎)2000年

 「癒し」という言葉が注目を浴びる今日、人間にとって癒しとは何か、いかに癒されるか、さまざまな角度から考察する本書のサブタイトルは、「自分のなかの青い鳥を見つける智恵」である。
 巻頭は天外伺朗氏と、12年前に日本で初めて「癒し」という言葉を使った文化人類学者・上田紀行氏の対談「個の癒し、社会の癒し」から始まる。
 日本の戦後50年は、「いま身を粉にして働いても、明日は必ず豊かになる」という目標がずっと続いてきた。だが、経済成長が止まり、明日の保証がなくなったとき、私たちの「今日」はむなしくなってしまった。しかも自分と他人は交換可能であるというシステムが出来上がってもいる。だからこそ「自分は何を求めて生きているのか」と、問われているのだろう。
 新しい文明のサイクルに展開していく意味を込めて、「癒し」という言葉を使い始めた上田氏は、それがいつかのまのストレス解消のような意味で使われ、大きな哲学的変換を起こさないかたちで消費されていることに憤りを感じるという。そのブームのなかには、「社会的な癒し」が欠如し、自分だけ気持ちよくなればいいという傾向が強いからだ。人と人のつながりを取り戻すことが大切であるにもかかわらず、つながりとしがらみの区別 がつかず、相手に気に入られるために自分らしさを押さえ込むケースも多い。個を確立しないままつながりを求めるため、何かにすがったり、カルトに流れたりするのである。「つながり型の癒し」だけでなく、勇気を持って抑圧的な繋がりを断つ「裁ち切り型の癒し」が必要だと説く。
 何かに支えられていることを、天外氏は人間社会を超え、無条件な愛に気づくことが必要であり、それを「宇宙の根っこにつながる」と表現している。そらに究極的な癒しを、上田氏は「魂のありかを探す旅」だとし、天外氏はそれを仏教用語で「究極の涅槃」といい、現代人には、宇宙のヘソにつながり、宇宙の胎内に戻っていくことが必要だと語り合う。
 2章以降は、『癒しの原理と手法』として、天外伺朗が癒しの構造を解説し、続いてマハーサマーディ研究会の講師陣(プリンシパルコントリビュータ)たちが、それぞれの癒しのコンセプトを担当執筆している。
 『本当の自分に気づく[座禅]』が、住職であり「南無の会」代表の松原泰道氏、『気づきが癒しをもたらす[ヨーガ]』が、デバイン・ヨガクラブを主催する成瀬雅春氏、『気功で人は癒せるか[気功]』が、関西気功協会代表の津村喬、『体の智恵に耳をすませる[新体道]』が、新体道を創設した青木宏之氏、『呼吸で宇宙とつながる[ホロトロピック・ブレスワーク]』が、トランスパーソナル学会顧問のティム・マクリーン氏、『魂の羅針盤[エニアグラム]』が、心理学者の高岡よし子さん、『生命エネルギーがよみがえる[バイオシンセシス]』が、算名学家でありバイオシンセシス研究家の中森じゅあんさん、『歌う門には福きたる[音楽療法]』が、音楽評論家であり作詞家の湯川れい子さんらである。