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2004年10月『カナダ・マニワキ 聖なる集いに参加して』(4/4ページ) |
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スピーチ2/「スピリチュアルな世界の物理学」
クェ、クェ(アルゴンキン語でこんにちわ)天外伺朗です。
昨日、ウィリアム・コマンダ大長老は、ご親切にも彼と私と二人だけの特別なパイプ・セレモニーを行ってくれました。とても名誉なことだと思います。私はこのことを、最も大切な記憶として心にとどめ、残りの人生を過ごすつもりです。
パイプ・セレモニーにおける、彼の祈りと教えは、企業秘密でありお話できません(笑)。しかしながら、彼からいただいたエネルギーと慈愛を、今後私の中で増幅させ、残りの人生で他の人々と分かち合いたいと思います。
パイプ・セレモニー終了後、私たちはいろいろなことを語り合いました。彼はこの「サークル・オブ・オール・ネーションズ」の集いの歴史を語ってくれました。1961年に、最初に呼びかけたときには、わずか五名しか集まらなかったそうです。
それが今回では、三千人に達する大集会にまで育ちました。これは、すばらしい偉業です。ウィリアム・コマンダ大長老をはじめとして、この集いを企画し、準備し、実行し、サポートしてくれたすべての皆さんに感謝いたします。
これほど多くの異なる国から多くの異なる宗教を信じる、多くの異なる肌の色の人々が集まる、というのはすばらしいことです。私たちひとり一人は、こんなにも異なりますが、ただひとつ共通点があります。それは、ここにお集まりのすべての皆さんが「赤い道」を歩いている、ということです。
(ここで二羽のアビが、すぐそばを鳴きながら低く飛んだ)
仏教が伝わる以前から日本に存在した、伝統的な宗教である神道では、この「赤い道」のことを「光の道」ということもあります。神道では、世界各地の先住民の宗教とまったく同じように、あらゆるところに神を見ます。たいへん贅沢な宗教であり、神の数は八百万ともいわれています。
今日世界中で、紛争を起こしているのは、ほとんどが一神教を信じる人々です。それは、ヤーウェー(エホバ)だったり、アッラーだったり、あるいはキリストやマホメッドかもしれません。
私たちは、神道の800万の神にこれらの神々を追加することに、何の抵抗もありません。800万が800万とんで4になるだけです。(笑)。
たとえ冗談でも、こんなことを言えば、キリスト教やイスラム教やユダヤ教の信者たちはは気を悪くなさるでしょう。この中にも、もし熱心な信者がおられたら、申し訳ないと思います。
宗教学者の中には、宗教はアニミズムから多神教へ、そして一神教に進化した、という人もいます。つまり、一神教が最も進化した最新の宗教であり、多神教やアニミズムは、それ以前の、古臭い、遅れた宗教だというのです。
正直いって彼らは、まったく物理学を理解していないと思います。物理学といっても、物質世界の物理学ではなく、スピリチュアルな世界での物理学です。そこでは、すべての法則が物質世界とは異なります。
スピリチュアルな世界では、ひとつが多数を意味することもあるし、多数がひとつをあらわすこともあります。
物質世界でも、目に見えるサイズではなく、はるかに小さい素粒子の世界では、ひとつの素粒子が壁にあいた多くの穴を同時に通ることが知られています。つまり、素粒子の世界では、ひとつであることと多数であることがはっきり区別できないのです。
スピリチュアルな世界は、素粒子の世界よりさらに精妙なのは明らかです。その中で、どうしてひとつと多数が区別できるのでしょう。ましてや、多神教は遅れた宗教だ、などと主張するのは、思い上がりもいいところでしょう。そういう思い上がりが紛争の種になるのです。そして、スピリチュアルな世界の物理学の理解が不足していることにより、思い上がりが生じるのです。
この「サークル・オブ・オール・ネーションズ」の集いのシンボル・マークは四つの色が使われています。赤と白と黄と黒です。それは四つの肌の色を持つ人々の融和をあらわしています。それと同じように、あらゆる宗教が、お互いに尊重しあい、融和していくことも大切だと思います。これも、「赤い道」の大切な要素だし、それ以外に世界平和への道はありません。「赤い道」というのはあらゆる面で多様性を受け入れ、相互の尊重と融和を意味します。
そしてそれを実行するためには、スピリチュアルな世界の物理学が物質世界の物理学といかに違うかを理解しなければいけません。
たとえば、「赤い道」というのは、母なる地球と創造主を結ぶ道です。物質世界で、たとえばオタワからここ(マニワキ)に来るとすると、私たちは次第にオタワを離れ、マニワキに近づいてきます。しかしながら、スピリチュアルな世界で、母なる地球と創造主を結ぶ「赤い道」を歩いてゆくと、様子はまったく違います。私たちは次第に母なる地球に近づいていくし、同時に創造主にも近づいていくのです。スピリチュアルな世界では、歩くことは一ヶ所から他の場所に移動することではないのです。つまり、物質的な世界とは、まったく物理の法則が違うのです。このことをよく理解しなければいけません。
しかしながら、ときには物質世界の物理法則をスピリチュアルな世界の説明に使うこともできます。
昨日、湖畔で夕食を食べていたときのことです。ちょうど、ホピの予言の「虹の戦士」の話をしていました。すると、まだ夕食の列に並んでいる人々の間から「オ、オーッ」と、大きな声が湧きおこりました。
ふと見上げると、湖の左側に大きな虹がかかっていました。だんだん色が濃くなっていき、一部はうっすらと三重になりました。左半分だけでしたけど、それが湖に映り、夢のように美しく輝いていました。私たちは、食事をするのも忘れ、美しい虹に見とれていました。ウィリアム・コマンダ大長老も虹を見に湖畔におりてこられ、私たちと感激をわかち合いました。
虹はやがて、完全な円弧になりました。そう、湖に映った分を含めると、完全なサークルになり、そして左側から除々に消えていきました。その間、きわめて長時間にわたって、私たちは虹の祝福を受けました。
そう、昨日あの虹を見た人のほとんどは、あれが特別の意味を持っており、精霊たちが私たちやこの集いを祝福してくれたことがわかったと思います。後から聞いたのですが、何人かはカメラのシャッターがおりなくなったそうです。精霊たちのエネルギーが強いと、よく電子製品が故障します。ソニー製品はとくに精霊に敏感なので御用心ください(笑)。
さて、虹というのは無色の太陽光が、水滴にあたって、波長による屈折率の違いにより七色に分かれる現象です。これは、まったくスピリチュアルな話ではなく、物質世界の物理学の解説です。
ということは、じつは無色の太陽光というのは、すべての色を含んでいるということです。これが光の物理学です。
光というのは、色を混ぜるとどんどん浄化されていき、美しく澄んだ色になり、すべての色を合わせると無色になるという特性があるのです。
これに対して、絵の具は色を混ぜると、どんどん色が濁って汚くなり、すべての色を混ぜると真っ黒になります。
さきほど、神道で「赤い道」のことを「光の道」という話をしました。私たちは、肌の色や宗教や文化や、いろいろな風習の違いをすべて融合し、お互いに尊重する道を歩いています。そう、これはまさに「光の道」なのです。ですから、違う色を混ぜれば混ぜるほど、色は美しく澄んで、透明になっていきます。虹も美しいのですが、本当は太陽光はもっと美しく、聖なる光なのです。
それに対して、富や名誉を追い求める「黒い道」は、絵の具の道です。異なる肌の色や宗教や文化がお互いにぶつかり合い、混ぜれば混ぜるほど色が濁り汚くなっていきます。その道は紛争や戦争につながっています。
私たちはいま、この「赤い道」つまり「光の道」を歩んでいることに誇りを持ちましょう。そして、この集いに、さらに多くの異なる文化や宗教が集まり、お互いに尊重しあい、融合していくことを願いましょう。それは、母なる地球の願いでもあり、創造主の願いでもあり、人類として当然進むべき道なのです。
異なるものがどんどん、融け合い、やがてひとつになっていく。それが、本当の意味での聖なる方向です。
あらゆるものが融け合った状態、それを仏教では「空」といいます。「空」というと、何も無いように感じるかもしれませんが、そうではありません。すべてがあるのです。でもすべてが融け合った聖なる状態なので、一見すると何もないように見えるだけです。
それはちょうど、すべての色を含んだ太陽光が色が無くなるのと同じことです。
さて、昨日から話題になっている「般若心経」というのは、この「空」の教えを説いたものです。それは「赤い道」の基本原理であり、「光の道」の基本原理です。物質世界の物理法則でもあります。
もしお許しいただければ、ここに日本人全員集まって、皆さんのために「般若心経」を唱えたいと思いますが、いかがでしょうか。
(このあと、ボストン近郊から参加していた人たちを含めて30名の日本人が集まり、般若心経を唱えた
----大拍手のうちにスピーチを終る)
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