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2007年01月『次の十年に向かって』 |
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「十年ひと昔」という言葉がありますが、本会の前身「マナーサマーディ研究会」が誕生してから、ちょうど十年の歳月が流れました。
その間、多くの方々から、ひとかたならぬサポートをいただいたことを、心から感謝いたします。
いま、こうして振り返ってみますと、私自身の考え方も、会のフィロソフィーも、この十年間で大きな変容を遂げてきました。
当初は、額面どおりに「瞑想をしながら、至福のうちに亡くなる」というテクニックを追い求めていました。そのため、瞑想や坐禅などの修行が主な活動でした。毎年夏に、軽井沢の日月庵で松原泰道師に坐禅の指導をいただいたことが、とても懐かしく想い出されます。
そうこうするうちに私自身が、いつの間にか、生きていくことがとても楽になっていることに気づきました。当初はまだ「猛烈企業人」の鎧が脱げておらず、目標を作って努力をする、という生き方だったのが、次第にホワホワと風のように生きていけるようになったのです。
そのころ「死とちゃんと向き合うことで、人生が充実してくる」ということを、古今東西の賢者たちが説いていることを知りました。「どうせ死ぬ
のなら、マハーサマーディで死にたい」とほのかに想うだけでも、死から目をそらしていた生き方から脱出できるはずです。私が生きるのが楽になったのも、いくばくかはその影響があったのではないかと考え、さっそくそのことを会のフィロソフィーに取り入れました。
よくよく考えると、本当にマハーサマーディで死ぬかどうか、ということより、「少しはましな死に方をしたい」という想いが、死と直面
させていることの方が重要かもしれません。それに気付くことにより、会の運営は大きく一歩前進したように思います。
一部の方はご存知ですが、病院に変わる新しい施設の提唱は、当初の設立趣意書に書いてありました。そのころ「病気の治療に代価をとる」という病院という存在には、大きな矛盾を感じていたことは事実です。設立趣意書では、「病気にならないよう指導する」、「日々のトレーニングのために集まる」、「生の喜びを教える」などの項目はありましたが、それ以外はマハーサマーディの技法の伝授をはじめとする「死のケア」が中心課題でした。
それからしばらくしてケン・ウィルバーなどを読み始めて、死の恐怖が人間の意識の変容を妨げている最大要因だ、ということを知りました。そこから、病気になると、いや応なしに死と向き合うから、意識の変容を起こしやすくなる、という根本的な原理を発見しました。
すると、「マハーサマーディで死にたい」と想うことも、死と直面することなので、意識の変容を起こしやすくなる、ということもわかり、会のフィロソフィーが、また大きく前進しました。
おなじころ、真相心理学者のユングが、精神的な病になることと、それから回復することは、魂の成長にとって、とても大切なプロセスだ、と説いていることを知り、大きな裏付けが得られました。
会報の一号『いかに生きいかに往くか』(九八年)では、病院に変わる新しい施設を「H」と呼びました。Hではじまる新しい名称をさがしていたのです。
なぜ「H」かというと、Hospitality(親切なもてなし=病院の語源)、Holos(全体)Holistic,Health,Heal,Hope,Heart、Human,Home,Hollyなどの単語と関連性を感じていたからです。
最終的に、スタニスラフ・グロフ博士が、自ら開発した呼吸法に名付けた「ホロトロピック(全体性に向かう=仏教でいう悟りに向かうというのと同じ意味)という言葉に行きつきました。
不思議なもので、そう思ったとたんにグロフの来日が決まり、昼食をとりながら私の概念を語り、名称の使用許可を求めました。その後は一度も来日していないので、このときはまさに、絶妙なタイミングだったといえましょう。
使用許可は、あっさりいただけました。彼は「自分にとっても名誉なことです」とまでいってくれました。
しかしながら彼は、「ホロトロピック・センター」の実現には疑問を呈しました。
「それはたしかに、理想的な施設であることは間違いないけれど、いまの社会の中で実現できるとは到底思えない」とのことでした。
グロフほどの革新的な学説の提唱者で、SEN(エピリチュアル・エマージェンシー・ネットワーク)など精力的に社会とかかわってきた人にとっても、ほとんど実現不可能に見えたのでしょう。
それを思うと、大勢の医師の賛同を得て、着々と実現しつつある現在の状況は、まさに夢のようです。
その後、吉福さんのワークショップを受けるようになると、「病気や破産などの危機的状況は、意識の変容の最大のチャンス」であることは、心理セラピストにとっては常識であることを知りました。
一般の人が、ほとんど理解できない、私のややこしい概念を、グロフが瞬時に理解したのは、多分そのためだったのでしょう。
「ホロトロピック・センター」の基本は「あらゆる人の意識の成長・進化をサポートする」ということです。しかしながら、わかりやすく説明するための二枚看板は、「病気にならないようにケアする」と、「病気になったら意識の変容をサポートする」などです。これらは、手探り的に探り当てたものですが、決して私のオリジナルではありません。前者は、漢方などの「養生」という考え方、後者は心理セラピストにとって常識です。私は、それらを単に組み合わせただけです。
しかしながら、いまの医療の世界から見ると、これはとんでもなく突飛な話です。
病気になったときだけかかわる病院とは違って、ホロトロピック・センターでは、生まれてから死ぬ
まで、その人の全人生をサポートしなければなりません。したがって、医療者は、従来の役割に加えて、僧侶としての役割も要求されます。
つまり従来の教育ではまったく不十分であり、医療関係者に対する新たな教育が大きな課題になっています。さしあたり、ハワイで隠遁生活を送っていた伝説のセラピスト、吉福伸逸さんにお願いしてセミナーを始めていますが、その他にどんな教育がいいのか思案中です。
じつは、ホロトロピック・センターそのものも教育と密接に関連してきます。生まれてから死ぬ
までの人生をサポートする、ということは、生涯教育を意味します。その中には当然、子どもの教育も含まれます。
いまからの教育の課題は、「意識の成長・進化」になりますが、それはまさに「ホロトロピック」という言葉そのものであり、センターの中心課題なのです。
ちょうど、「病院」という概念を否定して「ホロトロピック・センター」という概念ができたように、今後「学校」という概念に変わる新しい概念を提唱していきたいと思っています。
医療の問題を突き詰めていくと、教育の問題と切り離せなくなる、ということに気付いてしばらくしてから、シュタイナーがまったく同じことを説いているのを知り、びっくりしました。
以上が、「マハーサマーディ研究会」設立から、「ホロトロピック・ネットワーク」に至る、フィロソフィー面
の大まかな推移です。
多くの人が、私が最初から全部見通していたと思っているようですが、そんなことはありません。本文に記したように、一歩一歩、足を進めるにしたがって、次々に展望が開けていったのです。
とうことは、今後もさらなる展望が期待できるということです。
最近おぼろげながら、その姿が見えてきました。
いまの競争社会から次の社会へ移行すると、社会の目的が経済・産業の成長・発展から、ひとり一人の意識の成長・進化に変わっていくはずです。つまり、企業といえども、従業員の精神的成長が最大の課題になるはずです。
そうすると、ホロトロピック・センターに法人会員として加盟する企業が増えてくるでしょう。従業員の健康管理や意識の成長・進化をサポートしてもらうためです。
また、ホロトロピック・センター中心の、お祭り的な行事も、盛んに行われるようになるでしょう。
つまり、寺院や教会を中心に回っていた中世によく似た、ホロトロピック・センター中心の地域社会が出現すると考えられます。
もちろんそれは、暗黒の中世に戻るということではなく、来たるべき未来社会にふさわしい新しいフィロソフィーを追求することでもあります。
つまり、ホロトロピック・ムーブメントの真髄は、「未来社会の設計」ということになります。それは、頭で考えて「こうあるべきだ」と設計するのではなく、いままでのように実践を通
じて自然に見えてくるものを大切にしていきたいと思います。
次の十年が、とても楽しみです。
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